速記講座【61】 「漢詩はいかが?(2)」
また、江戸時代の俳人松尾芭蕉が「奥の細道」でも、杜甫の「春望」を引用しています。さらに文中では「邯鄲の一睡の夢」を踏まえて、栄枯盛衰の非情にして無常の世のうつろいを表現しています。
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三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先、高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。泰衡等の旧跡は衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐって此城にこもり、功名一時の叢となる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打ち敷きて、時うつるまで泪を落し侍りぬ。
夏草や兵どもが夢の跡
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奥州平泉の地で営まれた藤原氏三代の栄耀栄華も、邯鄲一睡の夢のようにはかないもので、一円は今は廃墟と化しているが、館の大門の跡は一里ほど手前にある。
秀衡の館の跡は田野になって、庭の築山に当たる金鶏山だけが昔の形を残している。
まず、義経の居館であった高館に登ると、眼前に流れている北上川は南部地方から流れてくる大河である。衣川は和泉が城の周りを流れて、この高館の下で北上川に流れ落ちている。
泰衡ら藤原一族の旧跡は、西方の衣が関を隔てたところにあり、南部口を抑えて、蝦夷の侵入を防ぐためのようにみえる。
それにしても、義経をはじめとして、よりすぐった正義の家臣たちがこの高館に立てこもって戦った功名も、ただ一時の短い間のことで、今はその跡はただ草むらとなっている。
唐の詩人杜甫の書いたとおり「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」だなあと、笠を敷き腰をおろして、いつまでも懐旧の涙にくれてしまった。
そして、このときにつくった句があの有名な「夏草や兵(ツワモノ)どもが夢の跡」である。
「春望」 杜甫(唐)
国破山河在 国破れて 山河在り
城春草木深 城春にして 草木深し
感時花濺涙 時に感じては 花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金に抵たる
白頭掻更短 白頭掻けば 更に短く
渾欲不勝簪 渾べて簪に勝へざらんと欲す
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「江南の春」 杜牧(唐)
千里鴬啼緑映紅 千里鴬啼いて 緑紅に映ず
水村山郭酒旗風 水村山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺 南朝 四百八十寺
多少楼台烟雨中 多少の楼台 烟雨の中
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「楓橋夜泊」 張継(唐)
月落烏啼霜満天 月落ち烏啼いて 霜天に満つ
江楓漁火対愁眠 江楓漁火 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外 寒山寺
夜半鐘声到客船 夜半鐘声 客船に到る

